01ch グルメ食べ歩き
熊魚菴たん熊北店 東京店
(東京都 文京区)
店名 京料理 熊魚菴 たん熊北店 東京ドームホテル店(ゆうぎょあん たんくまきたみせ) 住所等 東京都文京区後楽1-3-61 東京ドームホテル4F 【地図表示】 禁煙 タバコ分煙(個室を除き、全席禁煙) 訪問日 2006年12月下旬 丸鍋会席「鞍馬」 10500円 (別途サービス料10%)
〜京都料理 熊魚庵 たん熊北店 東京ドームホテル 店〜
2006年12月下旬 丸鍋会席「鞍馬」 10500円 (別途サービス料10%)
今回は、都内でも屈指の「京料理のお店」との呼び声が高い、巷で評判の「熊魚菴たん熊北店 東京ドームホテル店」(文京区・水道橋駅 or 後楽園駅)さんを訪問してみました。
実際、インターネット上の「和食系サイト」「グルメ系サイト」などを見る限り、こちらのお店を「絶賛」する記述が多数見受けられます。
しかも、その表現は「板前割烹の始祖」、「東京で出会う京料理の真髄」などの最上クラスの賛辞が惜しげもなく贈られているお店なのです。
都心最大級のエンターテイメントエリア「東京ドームシティ」に聳え立つ、こちらの「TOKYO DOME HOTEL」。
2000年6月に開業した地上43階建て、高さ155メートルの超高層ホテルですが、その4階の一フロアすべてを独占する贅沢な形で「熊魚菴たん熊北店」は入店しています。
ちなみに、「たん熊」は、「たん熊本家」と、こちらの「たん熊北店」の両店があるそうですが、「北店」は積極的に複数の支店や直営店を広げているようで、こちらの「東京ドームホテル店」もその中の一つです。
エレベーターホールのフロアガイドです。
9〜41階がホテルの客室フロアのようです。
ちなみにこの日は同行者を伴って二名で訪問しています。
こちらが「熊魚菴たん熊北店」の入口です。
まずは「熊魚菴たん熊北店」の紹介ですが、お店の公式HP等によりますと・・・・
「たん熊」は1928(昭和3)年、森鴎外の「高瀬舟」で有名な京都高瀬川のほとりに誕生しました。
高瀬川筋は江戸時代、季節の川魚をあつかう生州料理屋が軒を並べたところですが、私ども「たん熊」はそんな伝統を踏まえつつ、以降の精進を重ねてきました。
戦後も両千家をはじめとして、谷崎潤一郎、吉井勇先生等の文人墨客、その他各界各士のお引き立てを得て順調なあゆみをつづけ、近年は大阪や東京・軽井沢・横浜にも出店を設けるようになりました。
なお、「たん熊」の屋号は、創業者である栗栖熊三郎の「熊」と、彼が修行した老舗「たん栄」の「たん」にちなんだものでございます。
「熊魚菴」は1993年、現代のニーズにあった日本料理店を目指して創立されました。古来、中国で最高の珍味とされる「鯉唇熊掌」にちなんだもので、天龍寺管長平田精耕師にご命名いただきました。
京料理は宮中の有職料理、寺院における精進料理、茶道における懐石料理が渾然となって生まれたものとされていますが、私ども「たん熊北店」は、その京料理の中でも、一、二を争そう老舗をもって自負しております。
・・・・要約しますと、大体以上のような旨の説明が書かれていました。
どうやら、こちらの「熊魚菴」(ゆうぎょあん)は、歴史ある京料理「たん熊北店」の姉妹店と申しますか、直営の新形態店と言うような形で運営されているようです。
実は、私も京都は大好きで、今までに八回ほど旅行した事があります。
歴史ある社寺仏閣も素晴らしいですが、鴨川周辺の花街である「祇園」や「先斗町」(ぽんどちょう)の雰囲気は、本当に「江戸時代」の京都の街並や風情を色濃く残すタイムスリップゾーンです。
祗園の一部の景観保全地区では、「芸妓(げいぎ)さん」や「舞妓」さんも、運が良ければ見かけられます。
店頭に置かれたメニューの一部です。
これら以外にも、かなりの種類のコースがあります。
入口を入ると見える店内風景です。
こちらの「たん熊東京ドーム店」は、伝統の京料理を楽しむレストランとしては都内随一の広さを誇るそうで、 本格的な京料理はもちろん、鮨、鉄板焼、天婦羅の各コーナー、茶室を含めた個室も充実しています。
入口に「全席禁煙」「禁携帯電話」の案内がありますが、もし本気で「美味しい食事」「快適な空間」の提供を志すお店であるならば、今や「全席禁煙」は必須の大前提なのでしょう。
ただ、通路を歩いた際にタバコの臭いがしましたので、不思議に思いスタッフの方へ伺いましたところ、通路を挟んで左手一帯の「個室」スペースはタバコ可とのことでした。
実際、フロア全体図を拝見しますと、個室スペースがフロアの半分程を占め、かなり広く充実しています。各種の会合や接待、結納などに利用されているようです。
入店しますと真ん前に「鉄板焼き」のコーナーが目に入ります。この右手に「天ぷら」のコーナー、さらに「寿司」コーナーがあります。
それぞれのコーナーには、すし「清水」、天婦羅「嵯峨野」、鉄板焼き「祇園」との名前が付けられています。
ここから左へ進みますと、「和食堂」の広いコーナーがあります。
仲居さん達は、ほぼ全員が結い髪に若草色の着物姿で、笑顔や接客技術も、さすがにしっかりとした教育を感じさせるものでした。
こちらが「和食堂」です。
まだ早い時間帯でしたので、最初は二割程度の客入りでしたが、7時を回る頃にはほぼ満席となっていました。
窓際の一帯は、夜景が見えるように照明が落とされ、スポットライト状になっています。
「和食堂」の奥の一帯はグループ客向けの大テーブルのようです。
窓(夜景)から離れる分、照明も明るめになっています。
他の客の様子を見ていますと、外来の客だけでなく、上の階(東京ドームホテル)からの宿泊客の利用も多いようです。
ただ、少々残念なのは、他の「鉄板焼」、「天麩羅」、「寿司」などのコーナーが、職人さんの調理の様子を見ながら食べられるオープンキッチン形式なのに対し、こちらは厨房が完全に隔離され、全く調理の様子が目に入らないことです。
多数のコースや一品料理がありますが、この日は、当初より「すっぽん料理」を食べる予定で訪問しましたので、
「丸鍋」会席コース、つまり、たん熊北店伝統の「すっぽん会席」である「鞍馬」をオーダーしました。
着席しますと、すぐにオシボリとキャンドルライトを持って来てくれます。
また、お茶も二種類、「ほうじ茶」と「梅昆布茶」を出してくれます。「梅昆布茶」はだいぶ飲んでから写した状態です。
広々とした一面の窓からは、美しくライトアップされた「TOKYO DOME」が良く見えます。
写真では室内の蛍光灯が少々写り込んでしまいましたが、この素晴らしい夜景も、美味しい料理をさらに美味しく食べさせる「調味料」の一つと言えるでしょう。
「東京ドームシティ・アトラクションズ」(旧後楽園遊園地)の乗り物類もライトアップされています。
都心で、これだけの「非日常」的な夜景が楽しめるのは、貴重ですね。
こちらは「ジオポリス」などのある方向です。
ちょうど、クリスマスシーズンと言う事もあって、カップルの歩く姿が目立っていました。
さて、まずは「食前酒」と「前菜」の登場です。
食前酒は、ヒンヤリと冷やされ、ほんのりと柚子の香りと味がする甘口のお酒でした。
柚子の酸味が舌と胃をほど良く刺激し、味覚と胃が目覚める感覚があります。また、口当たりが良く、「トロッ」とした甘味がありますので、リラックス効果もあるように思います。
また、甘味がクドくなく、舌に残らず、砂糖のようなベタベタする甘さではないですね。
器の中の料理ですが、まず、右上のベージュ色の四角い物は「蟹松風」です。
もともと「松風」と言う料理は、鶏肉や白身魚のすり身を、ケシの実で覆ってデコレーションして焼き上げた料理の事ですが、その魚の白身に蟹の身肉を混ぜた一品のようです。
表面のツブツブの「サラサラ」「シワシワ」とした舌触りが独特で、ダシ汁がしっとりと効いていて、薄味のため蟹肉のホワッとした甘味が引き立ちます。
また、「かに松風」の上に乗っている白い物は、写真では判りづらいですが、「千鳥蕪」です。つまり、野鳥の「ちどり」の形に飾り切りされた「かぶ」です。
なぜ「ちどり」の形に・・・・と思うかも知れませんが、おそらくは京都の中心部を流れる「鴨川」の水辺に群れる水鳥として有名な「千鳥」をイメージしているのではないでしょうか。
実際に、「先斗町」の料亭の窓などからは、すぐ脇を流れる鴨川の水辺で遊ぶ「鴨川千鳥」の風流な姿が良く見かけられ、先斗町のシンボルマークにもなっているほど、京都市民に馴染みの深い鳥のようです。
蕪の柔らかな風味とシャクシャクと明るい歯触りが、口中リフレッシュの良いアクセントになっています。
その下に、「堀川牛蒡土佐煮」があります。
京都の堀川特産の牛蒡(ごぼう)のようですが、普通の牛蒡より香りが良くて柔らかく、太く育つのが特徴で、旬は11月〜12月とまさに今頃、晩秋の京料理に欠かせない代表的な京野菜の一つだそうです。
食べてみますと、硬い牛蒡のイメージとは大きくかけ離れた、意表を突く「柔らかさ」です。
口中で「ホクホク、ホワワワ・・・・」と、まるで自然に空中分解するような、驚くべき「ホワンホワン」な柔らかさに、少なからず衝撃を受けました。
牛蒡(ごぼう)の「アク」が完璧に抜けていて、土臭さが絶無、何とも上品な一品に仕上がっています。
ただ、あまりにも柔らかく上品ゆえ、「牛蒡」として考えますと・・・・少々物足りない気が感じられ、もう少し牛蒡本来の歯触りや香りのクセが残っていても良いような気もします。
カツオのダシ汁に加え、細かく刻んだカツオ節がまぶされていて、このカツオの旨味が「ピーン・・・」と水平に一本、味の筋を通していました。
串打ちの「甘芋」は、ホクホクした蒸かし芋で、「ほっくり」、かつ、「しっとり」とした口解け感で、何ともジューシーです。
舌の上に広がる穏やかで温かな・・・・自然な甘味が堪能できます。
その甘味がまだ口中へ残っているところへ、タイミング良く、次の「青唐辛子」のピリリッと来る清涼感のある辛味が続き、計算された心憎い味わいのコントラストを描きます。
この「青唐」も、決して辛すぎず、穏やかな辛味と鼻腔に抜ける揮発性の青い香りが、まるで清涼剤のようです。
海老は、モコモゴと弾力が強めで噛み応えがあり、しっかりとダシ汁の効いた豊かな味わいでした。
オレンジ色の「みかん玉子」は、「ネチョネチョ、ムッチョリ・・・」とする粘り気のある歯応えで、まるでゼリーと水あめの中間のような・・・・歯にまとわり付く食味です。
最初は、僅かにほんのりと「みかん」の柑橘の酸味が感じられるのですが、次第にゆっくりと「玉子の黄身」の味わいに変化して行きます。この不思議なメタモルフォーゼと、ゼリーと水あめの中間のような独特なマッタリ感のある口当たりを楽しむ一品のようです。
左下の寿司は、一見、「平目」か「鯛」のように見えますが、実は京都名物の「千枚漬け」を使ったお寿司です。
千枚漬は京野菜の「聖護院かぶら」を塩、酢、昆布、砂糖などであっさりと味付けした「冬の京都」を代表する漬物ですが、しっとりとした口当たりと優しい甘味、微かな酢の酸味が何とも上品で優雅です。
後味に昆布の旨味がほんのりと後を引き、いかにも「京都」らしい非常に洗練された、とても柔らかな味わいです。
寿司飯が圧縮されていて、押し寿司のようになっていましたが、千枚漬けと酢飯の間に何かが隠し味的に挟まれているようでした。
最後に、写真では椿(?)の葉に隠れて見えずらいですが、「いくら醤油漬け」が盛られています。
食べてみますと、一粒一粒が完璧に分離していて、プチプチプチと小気味良く弾け、トロロロ〜ンとエキスがあふれ、口中に流れ出して来ます。
漬け込まれている醤油は、ダシ醤油なのか、ミリン醤油なのか・・・・ほど良い甘味と旨味がありました。
続けて登場した「お造り」です。
メニュー表によれば、「旬の鮮魚三種盛り」だそうですが、「鮪」、「平目」、「烏賊」(いか)、そして「雲丹」(うに)・・・・と、四種類盛られていました。
「平目」も「本マグロ」も真冬の今頃が旬ですね。
まず、「平目」は、「身」と「縁側」と両方提供されていました。
食べてみますと、舌触りが非常に滑らかで、軽く噛んでみますと身がプリプリと弾みます。
そして、きっちりと冷やし込まれた身肉の歯を包み込む「モッチリ」とした歯触りが素晴らしいです。
とても豊かにモッチリとして舌に良く絡み・・・・まさに「モチ肌」的食感、そして白身魚らしく脂が素晴らしくスッキリとしていて、優しくあっさりとした淡い旨味で口中が洗い流されるようです。
しかし、決して「あっさり」一辺倒で終わるのではなく、後半になりますと、次第に旨味が力強く立ち上がって来ます。繊細でありながら、一切の雑味がなく、非常にクリアーな旨味です。
ちなみに、料亭などへ出かけますと、よく、大きな「生簀」(いけす)で泳いでいる平目などを、その場で網ですくい上げ、ピチピチの「活き作り」に卸して出してくれるお店もありますが・・・・割いたばかりの魚は確かに新鮮ですが、身がコリコリと硬く締まっていて、旨味もあまり強くはありません。
あくまで、「活き作りと言うイベント性」と「歯応えの鮮やかさ」を堪能するにはそれでも良いと思いますが・・・・「魚」が〆られた直後は、グルタミン酸はあるものの、イノシン酸がほとんどゼロだそうで、そのためどうしても「単層的な味」になってしまいます。
しかし、時間の経過とともにタンパク質が自然分解されイノシン酸に変わり、これがグルタミン酸と混じり合わさる事で、「旨味の相乗効果」を発揮して、グーンとパンチのある旨味になるのです。
つまり、牛肉などと同様に、魚もまた、適度の「熟成」をすることで、旨味が遥かに豊富になり、美味しくなるのです。
こちらのお店も、きっちりと時間を計って平目の熟成をしたのでしょう。
ただ、熟成の最適時間は魚の種類によって様々です。マグロ等の大型の赤身魚は熟成に数日間もかかりますし、小型の白身魚なら半日程度が多いようですが、小型の白身魚の中でもフグ等は2日程度、アイナメ等は〆立てが一番美味しいと言う話もあるようです。
「イカ」は、「サックリ」と歯が入りますが、次の刹那、「ムチムチ」と舌にまとわり付くような・・・・「ピッチリ」と歯に吸い付くような・・・・吸着性、粘着性の豊かな「ネッチリ感」を持っています。
数あるイカの種類の中でも、この「ネットリ」、「ムッチリ」・・・・とした豊かな粘り気で舌を楽しませてくれるイカと言えば・・・・「紋甲イカ」(=墨イカ)に間違いないでしょう。秋から冬にかけてが旬のイカです。
ゆっくりと舌の上に置いておきますと、「モチャモチャ・・・」と、舌に密着し、接着するかのような身肉です。
表面が次第に「糊状」になり始め、さらには「粘液化」してゆく・・・・その「過程」で、濃密な「イカの旨味」と、めくるめく「口解け感」が堪能できます。
また、仲居さんから、お造りの皿を並べる際に、「本日のマグロは、しびでございます。」とのご案内を頂きました。
「しび」・・・・とは、あまり耳慣れない言葉かも知れませんが、マグロの王様である「本マグロ」(黒マグロ)を指す、とても古くからの呼び名です。
日本最古の古典と言われる「古事記」にも、「鮪」(しび)が詠まれて登場するほどで、今でもお寿司屋さんなどで時折使われているのを耳にします。
サシの入り方からしますと、どうやら「中トロ」になるようです。
食べてみますと、さほど舌の上でとろける感じではなく、意外に歯応えが感じられましたが、「赤身の旨味」と「脂の甘味」が渾然一体となって、マグロの王者らしい量感のある美味しさです。当然ですが生臭みなども絶無でした。
さて、最後に「ウニ」です。漢字では「雲丹」とも、「海胆」とも、「海栗」とも書きます。
鮮やかなオレンジ色からして、おそらく最高級のウニと言われる北海道産の「蝦夷バフンウニ」でしょう。
別名、バフンウニは「赤うに」、色の淡いムラサキウニは「白うに」と呼ぶようです。
結論から書きますと・・・・今日頂いたすべての料理の中で、この「ウニ」が間違いなく一番美味しい品でした。
まず・・・・・今までに食べて来た「うに」とは、香りと甘味に「雲泥の差」があります。
口に含んで・・・すぐに気づく事は、滑らかな粒立ちの食感もさることながら、不思議な事に、まるで・・・・フレッシュな「果物」のような・・・・特に新鮮な「リンゴ」をかじった時のような・・・・「華やかな甘い果物の香り」、「スカッとする爽やかな香気」が感じられる事です。
とにかく、フルーティで、甘く&鮮やかな「含み香」があり、凄まじく「香り」が良いのです。
さらに、適温にヒヤッと冷やされていて、そのトロけるクリーミーな口解け感は、甘い乳脂肪をたっぷりと使った「超高級プレミアムソフトクリーム」のような絶品の滑らかさです。
その「うに」をゆっくりと舌で押し潰しますと・・・・鮮やかな「雲丹の香り」が口中いっぱいに小爆発し、まさしく「目の覚める」ような・・・・素晴らしく「颯爽」とした甘い香りに、しばし「陶然」としてしまいます。
続けてどこまでも、トローリと舌を取り巻く・・・・果てしなく取り囲む・・・・幾重にも渦巻く・・・・雲丹の「甘味」、「甘味」、「甘味」、「甘味」・・・・・なんと「甘美」で「馥郁」とした美味しさなのでしょうか。
最高級の特注「ソフトクリーム」のような滑らかな口解け感と、絶品の「甘味」にも度肝を抜かれますが、何よりその破格の「甘味」を邪魔する「苦味」や「雑味」などの「負」の要素が・・・・完璧に「絶無」な事は特筆ものです。
まさしく一点の曇りもない煌びやかな「海の珠玉」、キラキラと美しく光り輝く「海のダイヤモンド」を口にした・・・・と言うイメージです。
選ばれし「雲丹」の、生まれ立ての、一切の汚れのない「スーパーピュアな姿」がそこにあります。
まさしく、「雲丹」の美味しさが余すことなく完璧に表現され・・・・これぞ、海産物の帝王たる「雲丹の真実」を語る美味しさとの「邂逅」であると、確信しました。
醤油がお皿で添えられますが、「マグロ」や「イカ」はともかく、この「スーパー・ウニ」だけは絶対に何も付けずに食べた方が良いでしょう。
また、お刺身だけでなく、飾りとして添えられた紫蘇の葉と大根のツマも、非常に爽やかで口中をリフレッシュしてくれました。
この「お造り」の一皿は、いずれも余すことなく美味しかったです。
さて・・・・・いよいよ、本日の「真打ち」である「まるなべ」の登場です。
写真の物で一人前です。つまり、一人に一つずつ鍋が登場しました。
「鼈」(すっぽん)の甲羅の円い形からなのか、すっぽん鍋は別名「丸鍋」とか「○鍋」とか「まる鍋」と呼ばれています。専門店の中には、まれに「○」とだけ書いた看板を出しているお店もあります。
すっぽん鍋の大御所と言えば京都の「大市」が有名ですが、こちらも京料理のお店ですので、大いに期待が膨らみます。
私は、専門店や料亭で「すっぽん」を食べるのは、以前に東京と大阪の専門店で一度ずつ食べ事がありますが、今日でまだ三回目です。
ところで、グルメ漫画「美味しんぼ」の「鍋対決」の中で、海原雄山の提唱する「至高の五大鍋」の中に、この「すっぽん鍋」が登場して来ます。(他は「ふぐちり」、「鮑のしゃぶしゃぶ」、「鱧と松茸の鍋」、「松葉蟹の鍋」)
漫画の中では、土鍋にすっぽんの肉だけを入れて炊き、日本酒と醤油と生姜の搾り汁で極めてシンプルに味を調えるだけと言う・・・・一見、家庭でも簡単にマネできそうな「すっぽん鍋」でした。
しかし・・・・極めてシンプルに見えて、実際に作ってみますと、実は家庭で同じ味を出そうとしても「極めて困難」な事が判ります。
私も二度ほど、「すっぽん」を市中の巨大鮮魚マーケットで生きたまま買ったり、通信販売で買ったりして、自宅で鍋にした事がありますが、家庭にある土鍋や金属製の鍋では味に深みが出ないこと、また家庭のガスコンロでは火力が弱すぎて、本当に美味しいスッポン鍋はなかなか作れないのです。
「すっぽん専門店」の場合、長年に渡って毎日使い込まれたすっぽん専用の土鍋(楽鍋)が何より「美味の秘密」だそうです。
つまり、長年土鍋に染み込んだスッポンエキスがスープに溶け出し、旨味が加算されて、初めてスープに深いコクと単純ではない奥行きのある味わいが生まれると言います。
さらに、専門店のガス火力は強力ですし、中には溶鉱炉に使われる「コークス」の超高温で一気に炊き上げることで、スッポンの美味しさが余すところなくスープに溶け込ませるお店もあるそうです。
また、実際に「すっぽん肉」を鍋に入れますと、「アク」が信じられない位に大量に出て来ますし、「小骨」が非常に多く、さらに「皮」をきれいに剥かないと泥臭さが残ってしまうなど・・・・調理は簡単ではありません。特に下ごしらえとして、皮や甲羅に熱湯をかけて縮んだ皮を剥くのですが、これを丁寧にやるのは大変な手間です。
結局、本当に美味しい「鼈鍋」を食べようとすれば、評判の高い「専門店」に足を運ぶのが最も確実と言う事になるでしょう。
写真では、鍋に「豆腐」が二つ入っているように見えるかも知れませんが、左側は「豆腐」ですが、右側の白い物は「おモチ」です。ちょっとした「トリックアート」のようですね。
すっぽんの肉は、主に「首回りの肉」や「腕回りの肉」になりますが、赤身肉、ゼラチン質、脂肪などが複雑に入り混じり、その部位によって、食感が「ホクホク」だったり、「シコシコ」だったり、「ギュムギュム」だったり、「プルプル」だったり、「トロトロ」だったり・・・・と、1cm違うと、もう食味も歯応えもガラリと変化します。
さて、まずは「すっぽんスープ」をレンゲに取り、一口飲んでみました。
フーフー・・・・。
ズズズ・・・・ズー・・・・。
うーん・・・・・何とも・・・・・。
「海」の物とも・・・・・。
「山」の物とも・・・・・。
容易には区別の付かないような・・・・・。
とても一言では表現の出来ない、何とも、独特な風味で、不思議なクセのある、複雑玄妙な味わいのスープです。
ただ、はっきりと言えるのは、飲み終わった後に、上下の「唇」が「ピタッ」とくっつき合おうとする事です。
つまり、極めて「ゼラチン質」が豊富に溶け込んだスープなのは間違いありません。
もちろん、これは「スッポン」の身のコラーゲンから出たゼラチンでしょう。
さて、小皿にとって、いよいよ「すっぽんの肉」を食べてみます。
ハグハグ・・・・・プルプル・・・・・。
モギュモギュ・・・・モギュモギュ・・・・。
モグモグモグモグモグモグ・・・・・。
うーむ・・・・・。
この味は、牛や豚などの「動物の肉」とは違いますし、あっさりとした「鶏肉」とも違います。
もちろん、牡蠣などの「貝」の味や、魚の「魚肉」の味とも全く異なります。
言うなれば・・・・・。
うーん・・・・・・。
「亀」の味・・・・・ですね。
やはり、そのものズバリ、「亀の肉」の味です。
実際に「亀」なので、まさに、そのまんまの表現ですが・・・・。
しかし、それ以外に連想する味や、類似する肉が思い当たりません。
「すっぽん」は、生物学的には「カメ目スッポン科」であり、「爬虫(はちゅう)類」の仲間になるそうです。
つまりは、この味は、「爬虫類」の味とも言えます。
そう言う意味で、やはり他に「似た味」「同じ味」の経験がなくて当然かも知れません。
何とも言えない、「クセ」があり、「アク」の強さがあり、やたらと「ギュウッと濃い味」・・・・です。
肉質と旨味が「ギュゥゥゥゥゥゥ〜」と、超高密度に圧縮されていて、歯応えや旨味の濃さが半端ではありません。
かなり「生命力の強い生き物」を連想させられる「したたかな味」ですね。
実際、生命力溢れる天然のすっぽんは、エサや環境が良ければ100年以上も生きると言われています。
しぶとく、たくましく、粘り強く・・・・頑なに生きていないと、こう言う「ずんぐり」として、硬くて強靭な、ガッチリとした筋肉質の肉にはならないでしょう。
すっぽんの動きはノンビリとしているように見えますが、本来はすっぽんは肉食で相当に獰猛、特にアゴの力は強靭で、「一度噛み付いたら、食いちぎるまで離れない」などと言われています。
つまり、「瞬発力」「敏捷力」ではなく、明らかに「持久力」「耐久力」に特化したと思われるカチカチに硬く引き締まった、スタミナ感に溢れる肉質です。
そのため、噛んでも噛んでも、なかなか肉の繊維が「こなれない」と言いますか・・・・いつまでも同じレベルの歯応えが続き、いつの間にか柔らかくなって自然とノドへ落ちる・・・・と言う事がありません。
このギュンギュンに筋肉が圧縮された「歯応え」だけなら、鴨や地鶏の老鶏の硬いモモ肉を連想しますが、もちろん鶏臭さは全くなく、味や匂いはまるで異なります。
ただ、食べている途中で、一つだけ・・・・過去に食べた物の中で「似た味」を思い出しました・・・・。
それは・・・・「海亀」の肉の味です。
かなり以前に「海亀」の肉を食べた事がありますが、海水と淡水の違いやサイズの差を超えて、同じ「亀族」に共通する食味やクセがあります。
さて、右側の「茄子の皮」を厚くむいたような黒いモノは、すっぽんの甲羅のフチ部分に当たる「エンペラ」です。
食べてみますと、「プルプル、プニプニ」として、強い弾力のある歯応えで、ほとんど「味」はしないのですが、成分的にはコラーゲンの塊りとなるようです。
旨味や、香りや、コクは・・・・特にないのですが、食感は「ツル、ツルン、トローン」として、何かに例えるとすれば・・・・まるで「水ようかん」を少し柔らかくしたような食感が一番近いでしょうか。
焼ネギは、シャクシャクした繊維を適度に残しながら柔らかく煮込まれています。
実は、この焼ネギがスッポンスープをたっぷりと吸っていて、ネギの香ばしさと混じり相まって、これまた抜群の美味しさです。
柔らかな絹ごし豆腐が一つ入っており、とても歯応えがあるスッポン肉の後では、その柔らかさがとても良い箸休めになります。
また、おモチも柔らかく伸びて、モッチーリと粘り、美味しいですが、醤油感の少ないあっさりとしたナチュラルスープの中では、「お豆腐」も「おモチ」も、味が染み込んでいる・・・・と言う感じではなかったです。
また、スープには、「チリチリ・・・・」と、僅かに舌を刺すような隠し味があり、おそらくはメニュー表に「つゆ生姜」と書かれていた生姜の搾り汁の味だと思われます。
そして、スープの「後味」からは、日本酒の匂いが微かに香っていました。
ただ、この「生姜」も「日本酒」も、注意深く味わえばやっと判ると言う程度の物で、決して表立って目立っては感じられません。
「すっぽん」は、とても小骨が多いです。写真の物は「足」の骨でしょう。
今回は入っていませんでしたが、特に「尻尾」の骨は、まるでキーホルダーの鎖か、知恵の輪のように絡み合い・・・・芸術品彫刻のような「必見」の複雑精妙さです。
また、スッポン肉自体には、いわゆる「調味」や「下味」が、ほとんど付けられていない印象でした。
そのため、決して表面的な味わいではなく、まさに「さきイカ」のように、噛めば噛むほど、味わいが染み出て来ます。
余計な味が全く付いていないため、口当たりは実にあっさりしているのですが・・・・とにかく滋養豊富な印象の深い深い味わいです。
どこまでも深く、豊かで、しかし、透明感のある旨味であり、味付けに醤油も使っているとは思いますが、むしろ「塩」味のようにあっさりとして感じられるのは・・・・関東では馴染みが少ないですが、関西ではポピュラーな「薄口醤油」を使っているのでしょうか。
そして、全体的には、ナチュラルで柔らかな、優しい自然のあっさり味なのですが、それでいて、とても力強さと滋養分にあふれるスープ・・・・であることに驚きます。
「漢方」と言う訳ではないのでしょうが、次第に体がポカポカと温まって来るのです。
もちろん、もともと熱々のスープと言う事もあると思いますし、日本酒やショウガも体を温める作用がありますが、それらだけではなく、スッポンの滋養分によるところも大きいような気がします。
ただ・・・・やはり、わずかに「亀」に特有の「クセ」のある風味が感じられます。
すっぽんは、底が砂や泥の養殖池(天然物なら湖沼や河川)で生活していますので・・・・・鯉や鯰などと同じ、「川の匂い」のように感じる人も居るかも知れません。
もちろん、調理前にきちんと泥抜きはされていると思いますし、決して生臭いと言うのではありませんが、独特な湖沼の風景を連想するようなイメージで、良い意味で「野趣」にあふれる非凡な味わいと言えるでしょう。
さて・・・・次は「焚合わせ」です。
各料理は、客の食べ進み具合を見て出してくれるようで、この日は、いずれも前の皿を食べ終わった約5〜6分後・・・・・と言うグッドタイミングで提供されました。
京都名産の冬の野菜「聖護院大根」に蟹の餡がかかっています。
食べてみますと、大根は熱々で、火の通し加減も絶妙ですが、大根自身には甘味や旨味はさほど感じられず、割とアッサリとしています。
ダシも非常に薄味で、「蟹あんかけ」も穏やかに風味を添える程度です。ただ、ほぐされた蟹の身のザラザラする舌触りが少々気になりました。
ダシ汁は、塩気が全くと言って良いほど感じられず、舌に「スーーッ・・・・」と染み入るような、極めて優しい味わいです。
手前には「湯葉」も見えます。
食べてみますと、ほんわかと大豆の味が生きて感じられ、まさしく「湯葉」そのもののシンプルな味わいでした。
また、青菜はとても柔らかくてホクホクと美味しかったです。
紅葉は、練り物に特有のモッチリとした食味でした。
次に登場したのは「酢物」です。
メニューでは「こっぺ蟹」と「扇面胡瓜」と書かれています。
「こっぺ蟹」とは、京都や山陰地方で獲れるズワイ蟹の「メス」の通称です。
この地方で獲れるズワイ蟹の「オス」は、かの有名な「松葉蟹」として非常に高値で流通していますが、同じズワイ蟹でも「メス」は体が明らかに小さく、「松葉蟹」とは名乗れず、「こっぺ蟹」とか「せいこ蟹」と呼ばれて流通しています。
上の写真で、蟹に「松葉」が乗せられているのは・・・・おそらくは「松葉蟹」の産地から届けられた蟹・・・・と言う暗示なのでしょうか。
食べてみますと、やや身が締まったような僅かな硬さがありましたが、まさに「ズワイ蟹」のミニチュア風の味で、何とも繊細であっさりとした旨味、小さくて可愛らしい「細かな」食感です。なんと言うか、オスの蟹にはない「柔らかな味」、「幼少の味」・・・・と言う印象です。
ほんのりと甘味のある「生姜酢」で味付けがされていて、甲羅の中には少しだけ蟹味噌も混じっていたようでした。
「扇型」に切られたキュウリは、一見しますと、やや水気不足のように見えましたが・・・・実際に食べてみますと、「驚くべき瑞々しさ」で、そのギャップに度肝を抜かれました。
非常にフレッシュ&ジューシーで、一切の雑味がありません。
季節的にも露地栽培ではないと思われますが、硬そうに見えた「皮」も非常に柔らかく、とても柔らかな食味です。
「野菜」とか、「瓜」の仲間の味と言うよりも・・・・まるで、「水菓子」か「和菓子」のようなイメージです。
このキュウリもまた、「こっぺ蟹」と同様にとても「幼い味」、「ミニチュア的な味」で・・・・どうやら同じ皿の中で食感の統一がなされているようです。
添えられた「京諸味」も、旨味やコクはしっかりとあるのですが、塩分感がなく、とても柔らかな味わいで、これまた「幼い味」「柔らかい味」でした。
次は「揚物」の登場です。「天ツユ」と「塩」が添えられました。
左にチラッと見えますのが「天出汁」、右に見えますのが「塩」の乗ったお皿です。
右端の黒っぽい天麩羅がスッポンの「身肉」で、その上にかぶさっている物が「エンペラ」(甲羅のフチ)の天婦羅、その他は「旬野菜」の天婦羅です。
食べてみますと、スッポンの身肉の天婦羅は、せっかくの「ギュギュッ」と引き締まった感じがなくなり、緩んだ歯応えになっています。
どうも、ゼラチンの多いすっぽん肉は天麩羅にしますと、汁気が出すぎて身が「ブヨブヨ」としてしまい、衣も「フニャリ」としてしまい、あまり天麩羅には向かないような気がします。
おそらく、加熱により液状化したゼラチン質を、衣がたっぷりと吸ってしまい、そのため衣が「ベチャッ」としてふやけて水っぽくなってしまったのが原因だと思います。
よく使うウラ技ですが、衣に「片栗粉」を少量混ぜますと、もう少し「サックリ」、「パリッ」と揚がると思うのですが・・・・。
「エンペラ」の天麩羅も、「トロー・・・」「フニャリ・・・」とした食味で、エンペラが口の中でトロける感じなのは良いのですが、衣が「フニフニ」とふやけた感じでソフトなために、全体の輪郭が「ユルユル」とした感じに思えます。
どちらかと言えば、「カリッ」と揚がる「唐揚げ」にしてはどうかと思えるのですが、有名な和食の老舗店の仕事ですので、この「天麩羅」についても、私などが想像も及ばない遥かに高い位置での信念があるのだと思います。
野菜天は、ほぼ見た目どおりの味わいで、こちらは衣もふやけておらず、天タネは「ピーマン」、「茄子」、「舞茸」、だったと思います。「舞茸」が一番下になっていたせいか、水蒸気で衣がややフニャフニャになっていたようです。
天ツユは、鰹の出汁がしっかりと効いていて、ミリンとおぼしき甘味があり、非常に美味しかったです。
「御飯」メニューは、「丸雑炊」か「かやく御飯」のいずれかが選べるとの案内を頂いたのですが、せっかくなので二人とも「丸雑炊」を選びました。
10分ほどして、「まる雑炊」が登場しました。
漬物と取り皿が添えられ、箸も新しいものに取り替えてくれました。
フタを取った「丸雑炊」です。
ご飯が全く見えないほど、ダシ汁がたっぷりと注がれています。
保温のための木製の蓋がありましたので、適量ずつ茶碗に移し、冷める心配もなく、ゆっくりと食べられるのは嬉しいです。
ご飯茶碗に軽くよそって、約三杯分ほどの量がありました。
食べてみますと・・・・・うーん、「すっぽん」の出汁が非常に濃く出ていて美味しいです。
むしろ、「丸鍋」のナチュラルさに比較しますと、別途、濃縮エキスを足したかのような・・・・やや旨味が意外なほどに強めに感じられます。
味付けは塩のみと言う感じですが、同時に塩味はほとんど立たず、調味は薄味なのですが・・・・とにかく、「旨味」と「エキス感」が濃くて、物足りなさは絶無です。
味はシンプルなのですが、それゆえ、スッポンの旨味がストレートに「花開いている」印象です。
ご飯と一緒に登場した「香物」です。
すべて「京漬物」のようですが、ヒンヤリと冷やされていて、熱々の「雑炊」と交互に食べますと、とても良いアクセントを添えてくれます。
ただ、手前の茶色い「奈良漬」だけは、おそらく・・・・別に置かれていた物を添えて出したようで、これだけは室温でした。
「蕪」や「胡瓜」は、シャクシャク、パリパリと、軽快な歯触りが楽しく、薄味さも加わって、食味が爽快です。
特に「蕪はほんのりと甘味がありつつも、同時に酸味が効いていて、非常に美味しかったです。歯触りも優しく柔らかく、フワリとして、極めてナイーブです。
「青菜」は細かく短く刻まれて口解け感が心地良く、「紫蘇沢庵」は微妙に梅の隠し味がするなど・・・・それぞれ一工夫がされています。
また、「奈良漬」と言いますと、自然な酒粕の風味と言うよりも、「焼酎」もしくは「ジン」のような強いアルコール臭さとわざとらしい甘味が感じられる物が多くて、私はあまり好きではないのですが、こちらの奈良漬はアルコールの嫌な匂いがせず、代わりに柔らかくも複雑な酒粕の自然な風味が感じられて、とても美味しかったです。
実は、今まで「奈良漬」は一度も美味しいと思った事はなかったのですが・・・・これこそが、「本物の奈良漬」の味なのではないでしょうか。
「旬の果物」です。
ヒンヤリと冷やされたメロンの柔らかな甘味と上品な香りが、なぜか「ホッ」とさせてくれます。
下の方に見える透明なゼリーも、メロンの優しい上品な味がして美味しかったです。おそらく天然のメロン果汁が混ぜてあるものと思われます。
イチゴは、まだ旬には早いせいか、やや硬く、多少の酸っぱさが感じられました。
単に酢っぱいと言うよりも、「早生の苺」でまだ季節的に甘味が足りない感じで、相対的に酸っぱさが目立ってしまっている印象です。
メロンの後ろにあるグレープフルーツも、やや酸っぱさが感じられ、食感も瑞々しいと言うよりは少々モソモソとして感じられました。
「抹茶」が登場するのが、いかにも「京料理」の〆らしいですね。
飲んでみますと・・・・抹茶特有の、ややぬるめの温度で、「苦渋い」独特な味わいです。
「玉露」などと違って甘味や旨味が絶無ですね。
容赦なく、カテキンの苦味&渋味が舌を覆い尽くします。
ただ、その容赦のない「苦味&渋味」ゆえに、「爽快感」があり、心身に「喝」を入れられるようで、舌がサッパリとし、頭がスッキリとし、背筋がピンッと伸びるようです。
「締め」には最適な一杯ですし、また、抹茶の粉っぽさがなく、とてもきれいに溶けていました。
「重菓子」は、栗の形をしていますが、菓子細工による造形です。ただ、中身は本物の栗そのもので、ナチュラルな栗の味と甘味がします。
この栗の自然な甘味が、ニガ渋い抹茶と良いコンビになっていました。
ちなみに、食事中は、黙っていても「お茶」も「おしぼり」も、合計三回ほど新しい物を出して頂けました。
お茶は三回とも「ほうじ茶」でした。
時計を見てみますと・・・・入店から、食べ終わってお店を出るまで、ちょうど二時間程でした。
食べ終わってから、せっかくなので東京ドームシティを少し散策してみました。
こちらはホテル前にある滝です。
入店した時とは、逆側から見た東京ドームホテルの夜景です。
左右シンメトリーな造りになっています。
ホテル前の「クリスタルアベニュー」と呼ばれる通りです。
12月下旬でしたので、ちょうどクリスマスツリーのイルミネーションが並んで飾られていました。
「東京ドーム・シティ」の敷地の中は、プロ野球のシーズンなどは相当な混雑になると思いますが、普段であれば、きれいに整備され、周囲の街の雑踏からほぼ隔離された落ち着ける空間が満喫できます。
水道橋近辺では、こう言う「ロマンチック&ファンタジー」なエリアは、かなり貴重だと思います。
さて、食べ終えての感想ですが・・・・・
伝統的な「京料理」は、「五味五色五法」・・・・と言う定式を以って作られています。
「五味」とは「甘、辛、酸、鹹、苦」のこと・・・・。「五色」とは「赤、黄、青、黒、白」のこと・・・・。「五法」とは「煮、焼、揚、蒸、生」のこと・・・・です。
これは中国伝来の「陰陽五行説」の方術と行法理論に則って食材を選び、味付けと調理法を考えるもので、これら「五×三」の要素を「必ず盛り込む」ことにより、単なる美味しさだけでなく、見た目や色彩も美しく、決して飽きの来ない・・・・「均分と調和」に富んだ料理が作られます。
結果として、「偏り」や「過不足」のない栄養のバランスが取れた毎日の料理(食事)を作る事ができる非常に優れた考え方なのです。
また、「京料理」と言いますと、どうしても「上品な薄味」と言うイメージを浮かべてしまいますが、それは「味がしない」「主張が弱い」と言う意味とは全く異なります。
今回のこちらのお店でも、物足りなさは全くない、しっかりとした味わいになっていました。
以前に京都で入ったある料亭で、板前さんに京都の味付けについて質問をしてみましたところ、「薄味である事と、味が弱い事とは全然意味が違います・・・・」と、毅然としたご回答を頂きました。
要は、後付けの「調味料」や「スパイス」で食べさせるのではなく、素材の持ち味や本物のダシの旨味を大切にする料理法・・・・と言う意味での「薄味」と言う事なのでしょう。
また、都内で「付き合い」や「接待」で、それなりの料亭へ出向く事も少なくありませんが、都内の日本料理店は、「形だけ」整えただけと感じるお店が非常に多く、今までに、心から美味しいと思えたお店は片手の指の数より少ないです。
どこも、「交際費」で飲食する社用族のニーズをターゲットにしているのか、それなりの「雰囲気」のある場所を提供し、文句の出ない範囲で匿名性の高い「マニュアル通り」の無難な料理を出すだけ・・・・と言う印象です。
実際、忘れえぬ「味覚感銘」とか、目からウロコの「新たな発見」・・・・等をさせられた経験はほとんどありません。
一方、過去、京都市内で十軒ほどの「割烹」や「料亭」へ行った事がありますが、京都の料亭は、懐石にしても、刺身にしても、天麩羅にしても、鍋にしても・・・・どこへ入っても、きっちりとした「修行」を感じさせる真摯な料理が提供され、ひとかたならぬ感動を伴う美味しさがあり、ハズレる事が本当に少なくて驚いた記憶があります。
また、時折、京都の料亭は客筋に保守的とか排他的と言われたりしますが、あくまで私の狭い経験の範囲での話ですが、飛び込みで一見客で入っても嫌な顔をされたり、冷遇されたりと言う経験も一度もありませんし、東京に比較しますと、観光客相手の「ダマシ」「名ばかり」の高級料亭は極めて少ないと思えました。
ただ一度だけ、京都で激しく後悔する寿司店に当たってがっかりした事がありましたが、退店してから、看板を良く見ましたところ「江戸前寿司」と書かれており・・・・迂闊にも、わさわざ京都まで出かけて、東京の有名寿司店が経営するお店に入ってしまったと言う笑えない経験がありましたが・・・・。
日本古来の「衣」「食」「住」を大切にする「京都」の感覚は・・・・「東京」や「大阪」とは、かなり異なる気がします。
やはり、「平安京」以来の伝統と格式の「重み」があり、文化的、歴史的にも「背負っている物」があるように感じられてなりません。
ちなみに、今回頂いたこちらの「料理」の中では、今回は、「雲丹」が最も気に入りました。
実は、私は、数ある刺身類や寿司ダネの中でも、一番好きなのが「雲丹」で、過去にどれだけの「雲丹」を食べて来たか判らないほどです。
そんな私が、過去に食べた雲丹の中で「間違いなく一番の美味しさ」と感心させられました。
今回のような「雲丹」の仕入れが可能なルートを保有していると言う事だけでも、こちらのお店が持つ計り知れない「大きな力」を想像させられるものがあります。
そう言う意味では、こちらの「熊魚菴」が、本気で「全力投球」した時の料理は、想像し切れない超絶レベルのものが出されると確信しますが、今や支店も数多く手がけ、これだけの大所帯と言うことになりますと、連日連夜、常にアクセル全開の最高速度で走り続けるのは難しい面もあるかも知れません。
どのような高性能のスポーツカーでも、あくまで「最高速度」と「巡航速度」は異なります。
いずれにしても、わざわざ京都まで出向かずとも、京都屈指の名店の歴史に触れる事が出来るうえ、美しい夜景の見えるこれだけのステージで、「安心して食べられる」「楽しく過ごせる」「満足してお店を出られる」と言う意味でも、満足度は高いでしょう。
真新しいホテル内ゆえの立派な設備や安心感、接客サービスのグレードも高く、「誕生日」や「記念日」などの大切なイベントにも最適なお店だと思います。
〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜 ・ 〜
さて、最後に少々「雲丹」の話を・・・・・。
今回、本当に美味しい「雲丹」は、これほどまでに「凄まじく美味しい」のかと・・・・改めて感服させられました。
いやはや・・・・・今まで食べて来た「うに」は、果たして一体なんだったのでしょうか。
動物や鳥や魚介類の美味しさは・・・・・それぞれが食べて来た「エサ」の質と量でほぼ決まると言われています。
と言うことは、雲丹の場合も、また「しかり」なのでしょう。
雲丹のエサは「昆布」などの海草類です。その昆布の特に豊富な土地と言えば・・・・当然ながら「北海道」でしょう。
実際、北海道の昆布の生産量は全国の95%前後を占めるそうです。
雲丹の中でも最上級の美味しさとされる「エゾバフンウニ」は、この北海道の美味しいグルタミン酸たっぷりの昆布を、存分に食べて育つからこそ「最高の美味」を持つ雲丹になる・・・・ようです。
そんな珠玉の「エゾバフンウニ」の旬は、5〜8月の「夏」の頃と言われていますが・・・・12月にして、この「信じ難い美味しさ」。
果たして、一体どういう「マジック」なのでしょうか・・・・。
ただ一つ、はっきりと言えるのは「甘味」が恐ろしいほどにピュアで、逆に無粋な「苦味」が微塵も感じられなかった事です。
今まで私が過去に食べて来た、どのような雲丹にも「微細」〜「明瞭」と、程度の差こそあれ、「必ず」苦味がありました。
雲丹は殻から取り出すと、時間とともに溶けてしまいますが、添加物の「ミョウバン」を加えますと細胞膜と結合して不溶化し、ある程度は形崩れを遅らせる事ができるそうです。
しかし、同時に「ミョウバン」は雲丹の持つ微細な苦味を強調してしまう作用があるそうで、ミョウバンを多量に添加するほど苦味も増幅され、口解け感も悪くなります。
時折、妙に苦い雲丹や、口解けの悪い粘っこい雲丹と出会うことがありますが、それは保存目的で「ミョウバン」を添加し過ぎたものです。長い輸送を必要とする外国産のウニは、特にミョウバンの添加量が増える傾向にあるようです。
実は、殻付きのまま流通する雲丹が少ないのは理由があり、雲丹は非常に「当たり」と「外れ」の落差の激しい海産物で、同じ産地で、同じ時期に収穫された雲丹でも、一つ一つすべて味が異なるそうなのです。
そのため、百戦錬磨のプロの業者でも「見た目」では全く雲丹の味の判別が出来ず、殻付きのまま出荷すると、その雲丹が「旨いか、まずいか」保証ができないため、自信を持って値段が付けられないそうです。
仕方なく一つ一つ殻から出して、一つ一つ身の小片を「味見」して、「特上」〜「並品」のランク分けをして木箱に入れ、出荷しているそうなのです。
そのため、裸になって木箱に詰められた雲丹には、身が溶け出さないようにミョウバン添加が必要になってしまう訳です。
しかし、今回のこちらの雲丹は、この異様な美味しさから察するに、最高級の雲丹を、限りなく「ミョウバン不使用」に近い状態で提供している・・・・と思えてなりません。
今までも、かなり美味しい雲丹を食べて来たつもりでいましたが、今回、まだまだ想像も付かないほど、更に遥か「上の世界」の雲丹が存在していた事を思い知らされました。
過去、「最高の雲丹」と思っていた雲丹を「富士山」とすれば・・・・今回の雲丹は、世界の最高峰「エベレスト」(=チョモランマ)の世界です。
おそらく、今後も・・・・今日の「雲丹」を超える「雲丹」には出会えないでしょう。
今から思いますと、この時に別料金で、この「究極の雲丹」をまるまる一舟追加して、たっぷりと心ゆくまで食べれば良かったと後悔しています。
(すべて完食。)
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