01ch グルメ食べ歩き
京金
(東京都 江東区)

店名 手打そば 京金(きょうきん)
住所等 東京都江東区森下2-18-2 【地図表示】
禁煙 タバコ完全禁煙
訪問日 2007年5月下旬 せいろ 840円 




〜森下 京金〜



2007年5月下旬 せいろ 840円 

今回は、都内でも屈指の「日本蕎麦」を打つお店との呼び声が高い、巷で評判の「手打そば京金」(江東区・森下駅)さんを訪問してみました。
こちらのお店の創業は、明治27年(1894年)だそうで、既に「深川森下」に於いて100年以上も続く伝統を誇り、本物の江戸の手打蕎麦を今に伝える老舗店として知られています。

実際、インターネット上でも、多くの「日本蕎麦系サイト」「グルメ系サイト」で、こちらの「蕎麦」について「唸ってしまう美味」「下町の粋」等の高評価をしているサイトが少なくありません。




お店は「清澄通り」と「新大橋通り」の交差点にあり、お店のちょうど目の前に「森下駅」への連絡通路があります。
森下駅では、都営新宿線、都営大江戸線の二つの路線が使えます。




看板には、「石臼挽き手打ち蕎麦」と書かれています。
世の蕎麦好きのバイブルの一つでもある名著 「ソバ屋で憩う」(杉浦日向子とソ連編著)においても紹介されているお蕎麦屋さんでもあります。




入口には「靴箱」があり、そこで下足を脱いでスリッパで客間へ上がります。
フローリングフロアには低めのテーブル席と椅子が並び、奥には厨房、そして厨房の左手には畳敷きの座敷スペースもあります。




卓上のメニューです。
「冷たいそば」と「熱いそば」に分かれていて、各々「うどん」も注文できるようです。
この他にも店頭にランチセットの案内がありました。

「せいろ」蕎麦を注文しました。




裏面は「おつまみ」のメニューです。
本格的な「アテ」から「甘味」まで揃っています。




こちらは「お飲物」のメニューとなります。
お蕎麦を食べてみて思ったのですが、こちらの蕎麦ツユはどちらかと言えば「甘口」のようですので、
全体のバランスを考慮してなのか・・・・お酒は「辛口」の銘柄が多く揃っているようです。




天然木や竹を並べた壁、無垢材の卓、縄を編んだような椅子など、上品で落ち着いた民芸調の内装です。
この低めの椅子の座り心地が絶妙で、とてもリラックスして落ち着けます。
空間デザイナーが加わったようなお店ですと、オシャレな背の高いスツールなどに座って蕎麦を頂くお店もありますが、やはり、お蕎麦屋さんにはこういう「低めの椅子と卓」が合うような気がします。

なお、店内は「全席」&「終日」禁煙だと言うことです。
何よりも「香り」を大切にする蕎麦屋さんとしては、理想的な配慮ですね。
よく、「昼のみ禁煙」と言うお店もありますが、結局、夜にタバコを吸われますと、壁や天井、テーブル等にヤニが付きますし、
特にエアコンを使う夏場は、夜通しエアコンに吸い込まれたタバコの煙や刺激物がフィルターに付着し、昼に吹き出て来てしまいます。





さて、注文から六分ほどで「せいろ」が登場しました。
こちらのお蕎麦は、国内産の玄そばを店内で自家製粉しているそうで、昔ながらの「碾き立て、打ち立て、茹で立て」・・・・の味を大切にしているそうです。

100年以上続く老舗店とは言え、使われている器や盛り付けは、「町のお蕎麦屋さん」と言う感じのオーソドックスで気取りがない感じです。
薬味のお皿の下に、蕎麦猪口が隠れています。

ちなみに、葱は水にサラシてあったようで、適度に香りが飛ばされて、「白い糸」のように細かく刻まれた精緻な舌触りがその存在のメインとなっていました。
一方、ワサビは、野菜的な緑の香りや、山菜的な旨味はさほどでもないのですが、ツーンと鼻に抜ける「カラシ油」(イソチオシアネート)の突き刺すような辛みが非常に強烈で、ややトゲトゲしいと感じるほど強い辛味がありました。





まずは・・・・ツユに浸けずに、蕎麦を一つかみそのまま食べてみました。

スルスルスル・・・・・。

ハグハグ・・・・・。

モグモグモグ・・・・・。


うーん・・・・美味しいですね。
まず、口当たりですが、エッジが凛々しく「キリッ」と立っていて、舌触りが「スラリ」とし、蕎麦全体が「ヒンヤリ」と良く冷えていて、意外にもやや硬めの口当たりです。
と言うよりも・・・・おそらくは、蕎麦が硬いと言うより、冷水でよーく「冷やされて」いる事により、蕎麦がキリリッと引き締まって、エッジが「ピンッ」と立っているのだと思います。

そして、蕎麦の「フラットなつながり感」が実に見事です。舌触りに、全く「粒子感」が触らず、「粉っぽさ」や「ザラ付き」が絶無なのです。
しかもそれでいて決して単調ではなく、太さの微細な変化による力強い「脈打ち」や、強弱のリズムのある「ビート感」のあるすすり心地です。
そして、舌に乗った時の「蕎麦粉」の量感や、密度感、充実感・・・・も素晴らしく、当然ですが「機械臭さ」や「チープさ」は一切ありません。

また、噛み砕くと、これまた硬すぎず柔らか過ぎずの「歯応え」が秀逸で、清冽な「水」の美味しさが口中に広がります。
さらに、最初は、ヒンヤリと冷えているためにあまり判りませんが、口中の体温で蕎麦が少しずつ温められるに連れ、蕎麦の「旨味」、「甘味」、「コク」・・・・などが次第に力強く、次々に、グイグイと・・・・最後はあふれんばかりの勢いで、口中いっぱいに所狭しと湧き立って来ます。
まるで、口から「せり出して来る」ような・・・・蕎麦の「旨味」「甘味」「コク」のあまりの「高潮」に度肝を抜かれました。

そして、噛めば噛むほど・・・・時間の経過とともに、グングンと蕎麦の「甘味」が増すことが判ります。
つまり、砂糖等の調味料による甘さではなく、蕎麦の「デンプン質」が唾液によって糖質化することにより口中に誕生する甘味です。この「デンプン質」が糖質化することによる「自然の甘味」こそが、「穀物類」の持つ最大の魅力だと感じます。
ただ、昨秋の蕎麦の収穫シーズンから既に半年以上も経過した季節柄か、「香り」だけは今一つな感じがしましたのと、ほんの少しだけ塩気が舌に触る気がしました。





「蕎麦ツユ」は、鰹節は鹿児島枕崎産の一本釣の本枯節で、化学調味料等は一切使用していないとの事です。

見ての通り、黒々とした濃い醤油色ではなく、赤みの差す透明感のあるきれいな色合いです。
実際、ツユだけを少し飲んでみますと・・・・「醤油」のしょっぱさが一切立たず、「醤油」のほんのりとした旨味と「みりん」の甘味がデュエットする美しいメロディを奏で、非常に「細やかで女性的な味」、「濁りやくすみのない味」、「明るい柔らかな味」です。
どちらかと言えば「女性的フィール」と思える繊細な美味しさのツユなのですが、とにかく・・・・奥の奥まで、、隅の隅まで、先の先まで・・・・実に細かな輪郭が描き込まれ、繊細で精緻ながらも、端整なディティールに彫り込まれたくっきりとした味わいは・・・・・まるで、美しく均整の取れた「透明なクリスタルガラス細工の彫像」が舌の上に姿を出現させるかのようです。

また、その透明感には甘味が伴い、この甘味が見事に舌を捉えて、舌を深みへと引き込み、離そうとしない感じがあります。ミリンだけではなく、砂糖も加えているように思いますが・・・・決して舌にベタ付く事がありません。そして、最後の最後に・・・・醤油の「酸味」がキラリと光る感じがあるのですが、この醤油の「味」が、ずーっと伴走して後味を支える感じで・・・・味の「余韻」が非常に長く続きます。

例えるなら、音楽CDを聴いていて・・・・なかなか「最後の一曲」が終わらずに、最後の「リフレイン」の部分が・・・・いつまでも、いつまでも、小さな、小さなボリュームで、繰り返し、ずっと鳴り続けているかのような・・・・・感覚です。
そのため、ツユの味にいつまでも「語りかけられる感じ」がして・・・・舌への「付き添い」が長過ぎると言うか、引きずると言うか・・・・味の「消え際」がスムーズではないような気もします。
うーん・・・・様々な「美味のシークエンス」が続き、なかなかエンディングを迎えない、非常に「多弁」なツユですね。





さて、いよいよ蕎麦をツユに浸けて食べてみました。

ツルツルツル・・・・・。

ハグハグ・・・・・。

モグモグモグ・・・・・。


おお・・・・・これまた素晴らしく美味しいです。
ツユに浸けても、エッジが「キリリッ」と力強く立っていて、蕎麦肌が「スラッ・・・・」と心地よく滑って、何とも、実に「凛々しい」口当たりです。

特に、蕎麦がツユの水気のベールをまとい、唇の上での「滑り」が一層滑らかになっています。
そのため、蕎麦の太さの微細な変化による力強い「脈打ち」や、蕎麦の稜線のうねりによる「起伏感」、強弱のリズムのある「ビート感」等がより一層強調され・・・・まさしく、「これぞ蕎麦の真骨頂」と声を大にして宣言したくなる最高のすすり心地が現出します。

そしてやはり、噛めば噛むほど・・・・モチモチとした歯応えが出て来て、グングンと蕎麦の「甘味」が「増幅する」ことが判ります。まさに「ご飯」と同様のデンプンの糖質化であり、「咀嚼」(そしゃく)によって生じる「口内調理」の賜物でしょう。
蕎麦の持つ「旨味」と自然な「甘味」が、噛むほどに大きく増幅し、次第に口中いっぱいにあふれ、最後に隆々たる勢いとなってドドドドド・・・・・と押し寄せてピークを迎える様は・・・・何とも「圧巻」であり、蕎麦好きには堪えられない至福の味覚体験です。
蕎麦は「ノドゴシを楽しむべし」とばかりに、良く噛まずにツルツルと飲み込んでしまっては、この美味しさを知る事は出来ないと思われます。

ただ、数口食べ進みますと・・・・少々、ツユの味がややクドいような気がして来ます。
口当たりが良く、ソフトで、繊細さのある女性的なツユなのですが、やや「面倒見が良すぎる」と言いますか、少々「多弁でおせっかい」と言いますか・・・・・女性的なツユとは言え、「蕎麦」の味に「ツユ」が干渉し過ぎるようで、まるで、既に立派に一人立ちしている息子に「過保護」に口を出して来る母親のような・・・・・もしくは、やたらと蕎麦をリードしたがる「姉さん女房」のような印象でしょうか。

ただ、最近のすべての外食においては、やたらと積極的な味付けで、かなり濃い味が「トレンド」のようですし、もっと「あっさり」と食べたいと言う人も、蕎麦をツユへ浸す量を加減すれば、味の調節は可能ですので、さほど気にはならないでしょう。





蕎麦湯は「四角い木桶」ではなく、「白いポット」で登場しました。
木桶よりも保温性が良さそうです。





写真は、「蕎麦湯」だけを注いだものです。
蕎麦湯だけを飲んでみますと・・・・・穀物風味が強く、「蕎麦」と言うよりも、まるで「米のとぎ汁」のような香りと味わいに感じられます。
最近は、有名な蕎麦屋さんと言うと、多くのお店は「ポタージュ」風の濃厚な蕎麦湯を出して来ますが、こう言うさっぱりとした蕎麦湯が好きだと言う人も、まだまだ少なくない事でしょう。

この後、ツユを混ぜてみましたところ、ツユの「カツオ節」の風味が猪口の中で鮮やかに花開き、まさしく香りも旨味も「満開」となりました。
そして、その節系のパワーを見事に調律する、醤油とミリンの描く澄んだ味の輪郭の美しさ、奥の奥まで、隅の隅まで・・・・くっきりと見通しの利く透明感のあるきれいな味わいに・・・・心底、「ホレボレ」とさせられます。
おそらくは、あっさりとした蕎麦湯によって適度に味が溶き延ばされてダシが感知し易くなり、さらにアツアツの蕎麦湯の熱が加わる事でツユの旨味や香りが一気に活性化したのでしょう。

蕎麦を食べている際は、少々「多弁すぎる」「後味がエンドレス」と思われたツユの味ですが・・・・・あっさりとした蕎麦湯で溶き延ばしてみますと、決して単なる調味料の多用によるクドい味なのではなく、実は想像以上に「膨大な量の素材」の、ひとかたならぬ「凝縮テイスト」による物であった事が判ります。
これなら、次回は是非、熱いツユを使う、「かけそば」を試してみたくなります。



さて、食べ終えての感想ですが・・・・・
訪問する前は、こちらのお店を「江戸の老舗の味」や「下町の蕎麦」と評する声を多く耳にしていたため、ともすれば、「古臭さ」や「野暮ったさ」が気になる蕎麦なのかと思っていましたが、実際に食べてみますと・・・・むしろ、かなり「現代的な洗練された美味」、はるかに「上品な山の手の美味」のように感じられました。
とは言え、決して気取った高尚で難解な味ではなく、雰囲気はアットホームですし、あくまで「親しみやすい味」であり、老若男女・・・・本当に誰の口にも合いそうな間口の広い美味しさです。

ただ、エッジが「キリッ」と立って、舌触りが「スラリ」とし、あふれんばかりの旨味と甘味を持つ中量級の「蕎麦」自体は、私の好みのストライクゾーン「ど真ん中」で大満足なのですが、ツユの口当たりは・・・・どちらかと言えば、上品で柔らかく、タッチが繊細で、美しい透明感があり、ほんのりと甘口であり、何とも・・・・「フェミニン」&「クリスタル」なテイストです。
気が付けば・・・・たまたまかとは思いますが、この時間の私以外の客は、全員が「女性」でした。

お店の味が「客筋」を決定するのか・・・・それとも、「客筋」がお店の味を左右するのか・・・・は、判りませんが、「蕎麦」といえば、黒々としてキリリッとした辛口の「江戸つゆ」が好きな私にとっては、ツユが多少「緩く」感じられ、やや「甘味」が気になるような気もしましたが、おそらくは一部の「老舗店マニア」だけでなく、現代風に若い女性やファミリー客などにも広く喜ばれるよう・・・・意図的に「明るくてライト」なツユに仕上げている印象を受けます。
そう言う意味では、100年以上に及ぶ「老舗店」とは言え、今なお常に時代のトレンドをリードする・・・・むしろ「若手」「新進」のお蕎麦屋さんの味と言う・・・・若々しい印象さえ受ける美味しいお蕎麦だと思います。



(すべて完食。)










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